「あなた方は、長い間、ツラくて苦しいときを過ごしてきました。そのため、あなた方には、『幸せになる権利』があるのです。」
By 「私の主治医の発言集」より
これは、2年ほど前に、私が私の主治医から言われた言葉です。
このときに、私は、なんだか少し救われた気持ちになりました。
このように言われたからと言って、「うつ病」がなくなるわけではありません。
しかし、少し救われた気持ちになったことは事実です。
そして、ハッと気づかされた思いがしたのも事実です。
私たち「うつ病」の患者であっても、「幸せ」になってもいいんだと…。
過去に「うつ病」であったとしても、現在が「うつ病」だとしても、「幸せ」になることができるのではないか?
私は、そのように思えてなりません。
そこで、私は「うつ病」の患者なりの「幸せ」「幸福」について考えてみようと思いました。
そして、このサイトの中に、この「幸せ」というコンテンツをどうしても入れたくなりました。
完成するには時間がかかるかも知れません。
少しずつでもいいので、前に進もうと思っています。
この「幸せ」というコンテンツは、あらかじめ、準備をして書いているわけではなくて、思いつくままに書いていきますので、どんどん書き換わっていくことをお許しください。
最後の最後に、私が思う「幸せ」についての「完成形」ができていれば…と思っております。
幸せの定義
「幸せの定義」なんて、何と大それた「見出し」で書き始めたのだろうと後悔しています。
「幸せの定義」は、人それぞれです。
「健常者」には、「健常者」なりの、「うつ病患者」には、「うつ病患者」なりの、「幸福」があるでしょう。
このサイトは、「うつ病」になってしまった私が、「うつ病」でツラく苦しい思いをされている方や、そのご家族の方々に向けて立ち上げたものです。
そのため、この「幸福の定義」とは、現在「うつ病」の人や、過去に「うつ病」だった人に対する「幸せの定義」だということをまずご理解ください。
冒頭の「私の主治医の言葉」ですが、このような言葉一つで、人は救われた気分にもなりますし、ハッと気づかされたりもします。
これは、確かなことです。
救われた気分にはなりましたが、実際に「幸せ」になるためには、きっと何かの行動や努力が必要なのだろうと思います。
しかし、私たち「うつ病」の人には、その「行動」や「努力」をすることが、如何せんできないのです。
それならば、「幸せにはなれないんじゃない!」ってことになりますよね。
そのような人たちに「幸せの定義」なんて、あったもんじゃないってことですよね。
でも、私たち「うつ病」の人にだって、「幸せ」を感じる瞬間や時間がないわけではないのです。
健常者には分かりえない、お医者様には分かりえない、そんな「幸せ」な瞬間や時間があるのです。
それはきっと、私だけが思うことではないはずです。
私が思う「幸せの定義」に欠かせない “必須の条件” の一つに、「やさしさ」があると思っています。
“やさしい人” に触れると、何か「幸せ」な瞬間を感じませんか?
私たちを「うつ病」にしてしまった人や物事の反対側にあるのが、この「やさしさ」だと私は思っています。
「やさしさ」に包まれていたならば、きっと「うつ病」にはなっていなかったはず。
私は、そのように思えてなりません。
次には、その「やさしさ」について考えていきましょう。
(「幸せの定義」は、とりあえず後回しにします。)
やさしさについて
「幸せの定義」ほど大それた「見出し」ではないかと思いきや、「やさしさ」だって人それぞれの受け止め方がありますよね。
では、何を以って「やさしさ」というのか?
これも難しい!非常に難しい!
私たち「うつ病」の人には、「やさしさ」を持って接してくださる方々がたくさんいます。
精神科の病院の受付の方、精神保健福祉士の方、臨床心理士の方、主治医、いずれもやさしく接してくださいます。
他の病院と比べると、一目瞭然、ダントツで精神科の病院の方々には、「やさしさ」があると思います。
これは、精神科で働くのには必須の条件なのかも知れません。
(そのような教育がなされているのかは定かではありません。今度看護師さんに聞いてみよう!)
やさしい人について考える!
やさしさのありか
やさしい人になる
損をしたっていいじゃないか?
幸福論
世界三大幸福論
幸せになろうよ!